ご近所・散歩
2020年03月06日
スタッフ全員の「福井メーカー工場視察」の体験記が
好評のうちに・・(笑)・”スミマセン”・・終わりましたので、
通常のブログ文に戻させていただきます!!
昨年より完全週休二日制になり、さらに時間の余裕が出来ました!!
遠出はもちろん楽しいのですが、毎回だと”費用”が・・・
そこで、住まいの近隣を散策する「散歩」の時間が多くなりました。
車ばっかりの生活なので近くを通っても詳しくは知らない所がいっぱい。
エッ、こんな場所にこんなものが???
これからは、少しづつこんな”ご近所散歩”のお話を、
勝手気ままにお届けする時も多くなるかなと思っています!!

今回散歩したのは吹田市岸部にある「吉志部神社」です。
「紫金山公園」内に位置する神社です。
本殿の左側にこのような社伝の説明版が立っております。

『崇神天皇の御代に大和の瑞籬より神を奉遷してこの地に祀ったのが創祀』
と言われています
中央座 天照皇大神 豊受大神
祭神 左座 八幡大菩薩 祇園牛頭天王 稲荷大明神
右座 春日大明神 住吉大明神 恵比寿三郎
が鎮座されているそうです。
*これは余談ですが・・・「瑞籬」・「奉遷」・「創祀」などなど
(ここまで書くのに上記の漢字を何と読むのか調べるのに苦労しました
普段こんな文字なんか書いたり読んだりすることが無いもので、
パソコン・携帯電話などに頼り切ってしまってる無知な私でした・・・)
神社はたびたびの戦火に会い、『応仁の乱』では社殿がことごとく焼失したそうです。
その後、慶長15年(1610年)に再建された本殿は、全国的に珍しい七間社で、
桃山様式の絢爛たる紋様が施されていたそうです。
平成5年8月に国の”重要文化財”に指定されたのですが、
平成20年(2008年)、残念ながら不審火により全焼してしまいました。

( こちらの画像は吉志部神社のホームページよりお借りしました)
30年ちょっと前の話ですので、ニュースになったこの時のことは覚えておりますし
焼け落ちた跡地を遠くから眺めて残念に思った記憶がございます!!
しかし、氏子の皆様、地域の皆様のご努力とご支援で
平成23年5月22日、本殿、および拝殿を竣工されたそうです。
再建された本殿は、400余年という時を超えて、
安土桃山時代に建てられた当初の色彩が蘇ったといわれています。
残念ながら、焼失により重要文化財の指定は取り消されたそうですが・・・
歴史がある分いろいろな出来事を市のホームページや書物に書かれておりますが、
これ以上「吉志部神社」の由緒・歴史を語ることは私には難解すぎます。

神社の存在する「紫金山公園」内には古墳や窯跡があります。
紫金山公園は、かつて満開のツツジが山を赤紫色に染めた様子が
名前の由来と聞いたことがあります。

本殿右側の丘の中腹には「史跡・吉志部瓦窯跡平窯跡」がある。


吉志部瓦窯跡:延暦13年(794年)に新たに都が移された平安宮の
瓦を生産したようです。発掘調査の結果平安宮造営当初の
瓦生産の実態を示す重要な遺跡として昭和46年
国の史跡に指定されています。
須恵器窯跡:元は五月丘に所在した窯で現在は公園内に移築されています。
窯の操業時期は7世紀前半だそうです。
すぐお隣の「市立博物館」でもこんな展示がなされております。


如何でしょう?7世紀前半だとか延暦13年だとか・・・
想像もつかないような時代の話ですが、そのころからの人々が
この我が町吹田で生き生きと力強く生活していたなんて、想像を絶します!!
「紫金山公園」はこのように
陶芸の里ゾーン・虫の森ゾーン・鎮守の森ゾーン・里山ゾーンなどなど
幾つものゾーンに分かれて整備され、市民の憩いの公園として親しまれており、
私の大好きな”里山ゾーン”は魅力満載で今後も訪れる楽しみがいっぱいです!!
どうか皆様もお近くの公園や史跡を是非散策してください!!
アッと驚くような事や、ご自分のご趣味に合いそうな施設が
必ず見つかると思います!!
当然その時期ならではの季節感も味わえ、花や鳥も楽しめることでしょう。
どしどし「ご近所・散歩」に出かけましょうね。
《タケナカ》
好評のうちに・・(笑)・”スミマセン”・・終わりましたので、
通常のブログ文に戻させていただきます!!
昨年より完全週休二日制になり、さらに時間の余裕が出来ました!!
遠出はもちろん楽しいのですが、毎回だと”費用”が・・・
そこで、住まいの近隣を散策する「散歩」の時間が多くなりました。
車ばっかりの生活なので近くを通っても詳しくは知らない所がいっぱい。
エッ、こんな場所にこんなものが???
これからは、少しづつこんな”ご近所散歩”のお話を、
勝手気ままにお届けする時も多くなるかなと思っています!!
今回散歩したのは吹田市岸部にある「吉志部神社」です。
「紫金山公園」内に位置する神社です。
本殿の左側にこのような社伝の説明版が立っております。
『崇神天皇の御代に大和の瑞籬より神を奉遷してこの地に祀ったのが創祀』
と言われています
中央座 天照皇大神 豊受大神
祭神 左座 八幡大菩薩 祇園牛頭天王 稲荷大明神
右座 春日大明神 住吉大明神 恵比寿三郎
が鎮座されているそうです。
*これは余談ですが・・・「瑞籬」・「奉遷」・「創祀」などなど
(ここまで書くのに上記の漢字を何と読むのか調べるのに苦労しました
普段こんな文字なんか書いたり読んだりすることが無いもので、
パソコン・携帯電話などに頼り切ってしまってる無知な私でした・・・)
神社はたびたびの戦火に会い、『応仁の乱』では社殿がことごとく焼失したそうです。
その後、慶長15年(1610年)に再建された本殿は、全国的に珍しい七間社で、
桃山様式の絢爛たる紋様が施されていたそうです。
平成5年8月に国の”重要文化財”に指定されたのですが、
平成20年(2008年)、残念ながら不審火により全焼してしまいました。
( こちらの画像は吉志部神社のホームページよりお借りしました)
30年ちょっと前の話ですので、ニュースになったこの時のことは覚えておりますし
焼け落ちた跡地を遠くから眺めて残念に思った記憶がございます!!
しかし、氏子の皆様、地域の皆様のご努力とご支援で
平成23年5月22日、本殿、および拝殿を竣工されたそうです。
再建された本殿は、400余年という時を超えて、
安土桃山時代に建てられた当初の色彩が蘇ったといわれています。
残念ながら、焼失により重要文化財の指定は取り消されたそうですが・・・
歴史がある分いろいろな出来事を市のホームページや書物に書かれておりますが、
これ以上「吉志部神社」の由緒・歴史を語ることは私には難解すぎます。
神社の存在する「紫金山公園」内には古墳や窯跡があります。
紫金山公園は、かつて満開のツツジが山を赤紫色に染めた様子が
名前の由来と聞いたことがあります。
本殿右側の丘の中腹には「史跡・吉志部瓦窯跡平窯跡」がある。
吉志部瓦窯跡:延暦13年(794年)に新たに都が移された平安宮の
瓦を生産したようです。発掘調査の結果平安宮造営当初の
瓦生産の実態を示す重要な遺跡として昭和46年
国の史跡に指定されています。
須恵器窯跡:元は五月丘に所在した窯で現在は公園内に移築されています。
窯の操業時期は7世紀前半だそうです。
すぐお隣の「市立博物館」でもこんな展示がなされております。
如何でしょう?7世紀前半だとか延暦13年だとか・・・
想像もつかないような時代の話ですが、そのころからの人々が
この我が町吹田で生き生きと力強く生活していたなんて、想像を絶します!!
「紫金山公園」はこのように
陶芸の里ゾーン・虫の森ゾーン・鎮守の森ゾーン・里山ゾーンなどなど
幾つものゾーンに分かれて整備され、市民の憩いの公園として親しまれており、
私の大好きな”里山ゾーン”は魅力満載で今後も訪れる楽しみがいっぱいです!!
どうか皆様もお近くの公園や史跡を是非散策してください!!
アッと驚くような事や、ご自分のご趣味に合いそうな施設が
必ず見つかると思います!!
当然その時期ならではの季節感も味わえ、花や鳥も楽しめることでしょう。
どしどし「ご近所・散歩」に出かけましょうね。
《タケナカ》
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