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飛騨高山の旅

2022年08月09日

千里中央店

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こんにちは。
いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

先週の続き、飛騨高山の旅のお話です。
高山陣屋の後に「飛騨の里」に向かいました。

時代の流れと共に失われていく古い民家や生活用具など貴重な文化遺産を後世に伝えるため、1971年に「飛騨民俗村 飛騨の里」が開村されました。
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飛騨の豪雪に耐えてきた合掌造り等、飛騨各地から移築された古い民家のたたずまいなどを見る事が出来ます。



やはり岐阜に来たら合掌造りも見てみたいという事で、白川郷までは少し距離がありますが、飛騨の里は近場だったので今回は飛騨の里に行ってみました。

しかし暑い(^_^*)
何度も言うようですが、山の中なのにめっちゃ暑いです。

とりあえず中に入り最短コースを周ってみました。

まず入ってみると飛騨山脈(通称北アルプス)展望図が。


パネルに合わせると実際の山脈の名前がわかります。 北アルプスがずらりと見渡せます。


(申し訳ありませんが合わせたつもりですが、もしかするとこの写真は実際は少しずれているかもしれません。)

そして様々な様式の合掌造りがあちらこちらにあります。

ハサ小屋


山々に囲まれた白川郷では日照時間が短く、また秋から冬への季節の移り変わりが早い地域のため、秋に刈り取った稲や稗は屋根のあるハサ小屋にかけて乾燥しました。こうした小屋も白川らしく、屋根は合掌造の民家屋根と同じ造りになっていました。



旧西岡家
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山がちな飛騨地方は、耕地面積が少なく積雪が多い地域のため、農業以外のさまざまな生業に日々の糧の多くを依存するところが大きかったようです。その中でも換金作物として重要な養蚕、カイコの飼育は江戸時代から盛んに行われました。
高い屋根裏を2階、3階と区切って設けられた作業場は、養蚕に適した湿度に自然に調整されるという効果も持ち合わせています。


間近で見るとこんなに分厚いです。豪雪にも耐えれそうですね。


旧富田家
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鉱山の運搬中継所として使われた民家です。

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江戸時代から神岡鉱山で有名な鉱山地域が飛騨北部にはありました。旧冨田家は、飛騨地方と富山を結ぶ越中東街道沿いにあり、神岡鉱山より北にある茂住(もずみ)鉱山の仕送人として荷物や牛馬の中継を営んでいました。


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こちらは飛騨和牛『安福号』です。
飛騨では古くから多くの和牛が飼われており、飛騨牛の名声が高まってきています。こちらの『安福号(やすふくごう)』からは約2万頭の子牛が生まれたそうです。

安福号めっちゃ凄い。頑張りましたね^_^;
そんなに生まれるもんなんですね。

この他にも沢山の国指定の重要文化財の建物がありますが、全部周れませんでしたので、今回はちょっと派コースを楽しみました。

そして夜は飛騨牛をいただきました。

飛騨牛朴葉味噌焼き
朴葉(ほおば)焼きは飛騨地方に伝わる郷土料理の一つです。
少し甘めに仕上げたオリジナルの朴葉味噌と飛騨牛を一緒に朴葉の上で焼きます。

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そもそもなぜ葉の上で焼くようになったのか。諸説ありますが、食材も凍ってしまうほど寒い冬の時期に、味噌や漬物を温める目的で囲炉裏に朴葉を敷いて、焼いたのが始まりだと言われています。
朴の木は各地に自生していること、また葉は比較的火に強く、皿代わりになるような大きさだったことから、朴葉が使われるようになったとされています。朴の葉には抗菌作用もあるため日持ちもする上に、包んでおけば葉のいい香りも移るので、非常に理にかなった料理なのです。
とても美味しくいただきました。


そしてまだ飛騨高山の旅は続きますヽ(^o^)




《いまい》

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