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茶屋町は菜の花畑だった?

2017年03月17日

南千里店




こんにちは !!!

フッとした切っ掛けでこんな話を耳にして、

面白いなぁ~~と興味が湧いてネット検索をして調べてみました。




『大阪・茶屋町界隈は、昔は一面の菜の花畑だった』・・・そうです!!




それは江戸時代から明治の頃まで、梅田・茶屋町辺りのこと・・・


茶屋町・鶴野町一面は菜の花の名所だったようで、

そこに乃茶屋・萩乃茶屋・車の茶屋という3軒のお茶屋があったそうです。



鶴野茶屋は豪商であった松並竹塘が2羽の鶴を放し飼いにしたことが

由来となり、茶屋町と鶴野町の町名の由来ともなっています。

Nu茶屋町プラス前歩道には「鶴町茶屋跡」の碑があります。




梅田芸術劇場前広場には 《菜の花や月は東に日は西に》 で有名な

菜の花句碑があります。


都島の毛馬出身の与謝野蕪村の句なんですが・・・

これには諸説があり、この辺りで詠ったと言われておりますが

一説には・・神戸の摩耶山かも・・という説もあるそうですが???





その後明治になって西洋のアブラナの輸入や電気の普及により

菜種油の需要も減り、菜の花畑は消えていったようです。





もう一つ、



大阪有数の繁華街・・難波・・昔は一面のネギ畑だった???





九条ネギの原種と言われている『難波ネギ』

一般的なネギに比べてヌメリが強く、ソバとの相性も良いのが特徴。

阪堺鉄道(現・南海電鉄)が開通した明治時代(18年頃)、難波駅周辺は

「難波ネギ」の一大産地だったそうです・・・


今でもネギのことを「ナンバ」と言われるご高齢の方もいらっしゃると書いた

文献もあったけど、ホントかなぁ~~、聞いたこと無いけどなぁ~~~



「鴨南蛮」の「南蛮」は、ネギを指していて、江戸時代南蛮人がネギを常食

しているのを見て ネギ=南蛮=難波 になったという説もあるらしい。

ネギの産地が大阪の難波(なんば)だったから?????



そう聞かされてもなぁ???現在の街並みから、想像ができますか???









こうやって街は長い年月をかけて変化・進化していくのでしょうかねぇ~~~

大阪府下一円、調べていけば全ての街にこんな物語があるんでしょうかね。

これから暇な雨の休みには、こんな事検索していったら面白いやろうなぁ。





次はどの街をパソコンで訪ねてみよう・・・

まずは、我が街『吹田市』の歴史から・・・・かな??


        《タケナカ》



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