中山道馬篭宿
2016年09月13日
台風の影響で漁には出れてないので(笑)
先週に引き続き岐阜の観光名所を小出しで行きます。
馬篭宿
昔はこんな感じ
詳しくは下をお読みください(笑)
馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。
石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。
観光案内所からすぐの所に水車が・・・中に入ってみると
馬篭宿水力発電1号機で、馬篭の街路灯などの電力を賄っているそうです。
今も営業されているお宿やお土産物屋さんが道沿いにあります。
文豪 島崎藤村の生家で、馬籠宿本陣跡でもある、藤村記念館。
当然中には入ってませんが(笑)(笑)
まだまだ奥に続いているのですがこの辺でUターン
上からだと
写真を撮ったときは人通りの少ないときでしたが日本人はもちろんですが外国の方が沢山来られていました。
下りてくると丁度お昼時でしたので、昼食は定番の(笑)お蕎麦屋さんに
このお店にも外国の方が来られていて、お箸で上手に食べておられました。
こしがありとても美味しかったです。
【ハマチャン】
先週に引き続き岐阜の観光名所を小出しで行きます。
馬篭宿
昔はこんな感じ
詳しくは下をお読みください(笑)
馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。
石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。
観光案内所からすぐの所に水車が・・・中に入ってみると
馬篭宿水力発電1号機で、馬篭の街路灯などの電力を賄っているそうです。
今も営業されているお宿やお土産物屋さんが道沿いにあります。
文豪 島崎藤村の生家で、馬籠宿本陣跡でもある、藤村記念館。
当然中には入ってませんが(笑)(笑)
まだまだ奥に続いているのですがこの辺でUターン
上からだと
写真を撮ったときは人通りの少ないときでしたが日本人はもちろんですが外国の方が沢山来られていました。
下りてくると丁度お昼時でしたので、昼食は定番の(笑)お蕎麦屋さんに
このお店にも外国の方が来られていて、お箸で上手に食べておられました。
こしがありとても美味しかったです。
【ハマチャン】
最新コメント